犬がこちらを見上げたとき、目の上の内側がきゅっと持ち上がり、何かを訴えているように見えることがあります。その小さな動きを支えているのが、目のまわりの筋肉です。
犬とオオカミの比較では、眉の内側を上げる筋肉の発達や、表情の動かし方に違いが見つかっています。一方、野生のイヌ科にも同じ筋肉があり、眉上げには眼球の動きも関わります。身近な表情を入り口に、体の仕組みと人との暮らしの関係を見てみましょう。
眉の内側を上げる筋肉と、目尻を引く筋肉
ここでいう「眉」は、目の上の皮膚や毛のある部分を指します。注目する動きは、左右の眉全体を一様に上げることではなく、目頭に近い内側が持ち上がる動きです。これによって、目元が丸く、大きく見えるようになります。
この動きの中心となるのは、内眼角挙筋(ないがんかくきょきん、LAOM)という筋肉です。目の内側の上方にあり、収縮すると上まぶたの内側と、その周囲の皮膚・毛を引き上げます。
目の外側には、外眼角牽引筋(がいがんかくけんいんきん、RAOL)もあります。こちらは目尻を耳の方向へ引く筋肉で、内側を上げる内眼角挙筋とは働く方向が異なります。
| 筋肉 | 主な働き |
|---|---|
| 内眼角挙筋 | 目頭側の上まぶたと眉の内側を持ち上げる |
| 外眼角牽引筋 | 目尻を耳の方向へ引く |

目元の印象は、こうした筋肉の働きで変わります。「眉が動いた」という見た目を、どの部分がどちらへ動いたのかに分けると、犬の表情を少し具体的に捉えられます。
犬とオオカミでは、目のまわりにどんな違いがあったのか
2019年に発表された比較研究は、犬6頭とハイイロオオカミ4頭の顔を解剖し、目のまわりの筋肉の違いを調べました。犬では内眼角挙筋を独立した筋肉として識別できた一方、オオカミでは同じ位置に少量の筋線維と多くの結合組織があり、犬ほど明瞭な筋肉にはなっていませんでした。
外眼角牽引筋にも違いがあり、調べたオオカミでは犬より細い傾向がありました。ただし、この筋肉の大きさや有無にはばらつきがあり、犬の標本でもシベリアン・ハスキー1頭では見つかりませんでした。少数の標本による結果なので、これだけで犬種ごとの特徴を決めることはできません。
同じ論文の行動比較では、保護施設の犬27頭と、オオカミの飼育施設にいる9頭を、見知らぬ人がそれぞれ約2分間撮影しました。この場面では犬のほうが眉の内側を上げる回数が多く、最も強い段階の眉上げは犬だけに見られました。
オオカミにも弱い眉上げは見られています。 違いは、眉が動くかどうかの二択ではなく、筋肉の発達と、観察された動きの頻度・強さにありました。また、犬とオオカミでは暮らす施設が異なるため、この比較だけで行動の差をすべて生まれつきの筋肉の違いに結びつけることはできません。
人と暮らす過程で発達した、という考え方
犬の眉上げで目が大きく見えると、人は幼さや、世話をしたくなる印象を感じるかもしれません。2019年の論文の著者らは、人がこうした表情を好むことが世代を重ねて選択圧となり、犬の目元の筋肉や動きが発達した、という仮説を提案しました。
これは、犬が一生のうちに人をまねて筋肉を獲得するという説明ではありません。表情の特徴を持つ個体が、人との関係の中で残りやすかったのではないか、という進化についての考え方です。ただし、現在の犬とオオカミの比較から、過去に働いた選択の仕組みを直接確定することはできません。
野生のイヌ科にも、同じ筋肉がある
その後、比較する動物の範囲を広げると、「この筋肉は家畜化によって犬だけに生まれた」という説明では捉えきれないことが分かってきました。2026年の南米の野生イヌ科4種・計12個体の解剖では、調べたすべての個体に内眼角挙筋と外眼角牽引筋がありました。
この結果は、両筋が犬に特有の新しい器官ではなく、イヌ科に広く受け継がれてきた構造である可能性を支持します。ただし、筋肉があるだけで、野生種も犬と同じ頻度や目的で眉を動かすとはいえません。家畜化との関係を考えるには、筋肉の有無に加えて、発達の程度と実際の使われ方を比べる必要があります。
眉を上げるのは、いつも人への訴えかけなのか
人と向き合う場面で、犬の眉の動きが変わることはあります。2017年の家庭犬24頭を対象にした実験では、人が背を向けているときより、犬のほうを向いているときに眉上げが増えました。食べ物を見せるかどうかでは、顔の動きに明確な差は出ませんでした。
ただし、この結果だけで「犬が人の気を引くために、意識して眉を動かしている」とは決められません。人を見るときには、視線の向きも変わるからです。
眼球の動きに伴って、眉も動く
2021年の犬21頭を対象にした実験では、人がいる条件より、人がおらず装置から報酬を受け取る条件で、眉上げが多くなりました。映像を詳しく分析すると、眉上げや眉の緊張は、眼球の動きと強く結びついていました。
この実験では、人は低い椅子に座っており、犬が顔を見るために大きく見上げる必要が少ない設定でした。人が立っていた先の実験とは、視線を動かす条件も異なります。眉上げの回数を比べるときには、相手の有無とともに、犬がどこを見ていたかも考える必要があります。
人に慣れた犬とオオカミの挨拶にも違いがある
2025年には、幼い頃から人が育て、同じ施設で暮らす犬11頭とオオカミ11頭について、知っている人とフェンス越しに挨拶する様子が比べられました。犬はオオカミより、眉の内側を上げている時間が長くなりました。一方、顔の動き全体の違いは小さく、耳の向きにはより目立つ差がありました。
さらに、人の側も、オオカミより犬に対して、顔の動きを多く、強く見せていました。人と動物の表情は、相手の振る舞いも含めたやり取りの中で生まれます。この結果からも、筋肉の違いだけで、人に向ける表情のすべてを説明するのは難しいと分かります。
犬の目元には、体の仕組みと視線の動きが重なる
犬が眉の内側を持ち上げる動きには、内眼角挙筋が関わります。犬とオオカミの比較では、その発達や眉上げの強さ・時間に差が見られますが、同じ筋肉は野生のイヌ科にもあります。人と暮らす過程がその発達や使い方に影響したという仮説は、引き続き検討が必要です。
目元が動いたときには、何を見ているのか、人がどの位置にいるのか、その前後にどんなやり取りがあったのかにも目を向けてみてください。「困っている」「甘えている」と一つの気持ちに結びつける前に、視線と表情を一緒に見ることで、身近なしぐさへの理解が深まります。





